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「お帰り、アリエ君がなかなか戻らないからって、ザーレ君が心配してね」
部屋に戻ると、窓際に立っていたルネが二人を迎えた。
「すいません、わたしのせいで、お邪魔をしてしまって」
うつむく。
「気にすることはない。シャワー、浴びてきたらどうだい?」
「あ、は、はい」
「ありぃ、一緒に浴びよ! ふたりで、、、あっ!」
眼鏡の奥で、表情が凍る。ぱ、と視線を動かした先は、ルネ先生。
「まぁ、校外だし。あまり、おおっぴらにはやらないでくれよ」
少し口元をゆがめ、窓のほうを向いたまま、そんなことを言ったか、言わなかったか。
ふたりに続きにルネがシャワーを済ませ、寝室に三人がそろう。
「明日の朝、転送魔法で、学校の前まで送ってくれるそうだ。今夜はここに泊まることになる」
金髪の少女が口を開いた。
「また、あの魔法使いが来るんでしょうか」
アリエの顔が曇る。
「さぁ、どうだろうねぇ」
「それよりも、ですよね、ルねぇさん」
ザーレ、神妙な顔。
「なにか、あったんですか?」
アリエが二人の表情をうかがう。
「ありぃ、ここに泊まるってことはさ、ここのベッドで寝るってことだよね」
「え、あ、はい」
「やっちゃったら、どうする?」
! アリエの口元が、あ、のかたちでかたまる。三人で寝てもまだ余裕のある大きなベッド。四隅には金の彫刻の施された支柱が伸び、虫の羽のように薄い布の天蓋。シーツは文字通り、染み一つもない光沢の、おそらく、絹。
「さすがにさぁ、このシーツを焦がさないように乾かす自信、ないんだよねぇ」
「ど、どうしましょう」
「そこで、提案はふたつ」
ルネは額に指をあて、言う。
「ひとつは、今夜は一睡もしない」
多分むりですぅ。きっと寝ちゃって、起きたら大惨事ですぅ。
「もうひとつは」
「はい」
「野宿をするかだ」
「わたしは、後者を薦めます」
「わたしもですぅ」
「では、決まりだな。私も同感だ。今夜は、外で寝よう」
言うが早いか、いそいそと3人は荷物をまとめる。
「まさか、夜中に出かけるなんて屋敷の人は思っていないだろうからねぇ。入り口は閉められているかな?」
「なら、窓から出ましょう。こんなこともあろうかと、ロープを持ってきました」
「わぁ、さすがちぃ! 準備がいいですぅ」
荷物を背負って、窓際の重そうな調度品にロープを結びつけて、少女らは静かに静かに、壁を降りた。森と、屋敷の敷地との境で、寝袋を用意する。改めて、屋敷を見上げる。幾つかの窓から、わずかに光が漏れているが、外壁のどこかにも魔晶石が輝いているのか、建物全体が、ぼうっと赤みをおびた色に、文字通り夜の闇に、浮かんで、見えた。
寝袋を並べて、潜り込む。制服のぬくもりがからだを包む。アダマン布製の制服はなんて優秀なんだろうと、つくづく思う。そうだ、
「ありぃ、制服、まだあったかい? 魔力、少なくなってるようだったら、いまのうちに足しておくよ」
「大丈夫ですぅ。ありがとうございますぅ」
今日は一日、本当にいろいろなことがあったからね。
お料理、おいしかったですぅ。
そうだね。
でも、あんな風にお料理食べるのは初めてで、すごく、緊張したですぅ。
そっか。ありぃは2年生から転入したんだもんね。お作法はだいたい、1年で習うからなぁ。
大丈夫、必要になったときに覚えればいいよ。
そう。ツウォムにはあんな風に食事をするところがたくさんあるから、いつか行こう、ね、ありぃ。
また緊張して、おもらししちゃいますぅ。
「でも、ちぃとなら、行きたいですぅ」
「うん。お屋敷も、素敵なお店もたくさんあるよ! 街の真ん中には大きな大きな塔があって、ほんとに、空に届きそうなぐらいなんだから」
「へぇぇ!」
「昔、この国にまだ王様がいた頃、塔から国中を見渡してたんだって」
「え? キシンには王様がいたんですか?」
「そうだよ! 歴史で習わなかったっけ」
「お手洗い行ってて聞いてなかったかもしれないですぅ」
「キシンはその昔、王様が治める国だった。でも王様は戦争ばかりしていて人民の反感を買い、ついに王様の座を追われた。それが100年前のこと。ですよね? ルねぇさん」
「ん、まぁ、ね。だいたいはそう、教わるよね」
「本当は、違うんですか?」
「過ぎ去った時間を戻すことはできないから、本当のことは誰にも分からないだろう。まして歴史は、後に残った者が、いくらでも書きかえることができる」
「わたしたちの知っている歴史は、書きかえられた歴史、だと?」
「さぁ、どうだろうね」
「ルねぇさんは、何を知っていらっしゃるんですか?」
「王様は戦争ばかりしていた、と言ったね?」
「はい」
「キシンは、どこと戦争をしていたんだい?」
「それは、外国と、、、」
「外国ってどこだい?」
「、、、知りません」
「このモレタ島の外、海の向うに外国があるのは確かだ。けれど、わたしたちは、外国のことをほとんど知らない。子供の読む絵本に出てくるくらいしかね。なぜだと思う?」
「分かりません」
「もうひとつ、100年前、大きな戦争があったのは確かだけど、いまは誰も、戦争の話をしない。どうしてだと思う?」
「それは、戦争のことを知っている人が少なくなってしまったから?」
「話したくない人と、話させたくない人がいるからだよ」
「それって」
「ちょっとしゃべり過ぎてしまったかなぁ。アリエ君はもう、ずいぶん前に夢のなかだ」
「あー! 寝る前に用足さなくて大丈夫かな、ありぃ」
「わたしも、アリエ君を見習って寝ることにするよ。おやすみ、ザーレ君」
「あ、はい! お、おやすみなさいませ!」
しばしの少女たちのまどろみ。それを妨げたのはしかし、冷たく濡れた寝袋ではなく、もっと、予想だにしなかった、
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