−7−
どぉぉぉぉおん

、爆音。
 目を覚まさずにはいられないほどの。
 少女たちは跳ね起き、見れば、まだ暗いはずの夜空に赤々と立ち上る炎。まるで、昼間の如き。
 屋敷の向かって右側、少女たちが通された部屋とはちょうど反対側の二階か、三階か、窓からはもうもうと煙が上がり、煙の中、真っ赤な炎が噴き出している。ひどいにおいがする。思わずレツィタティファは制服の袖で口もとを覆う。

ばん、ばぁん!

 さらに続けて、爆発が起こった。同時にガラスが砕ける音。煙と炎が噴き上がる。ずいぶん距離があるはずなのに、ぴしぃっ、ガラスの破片が耳元をかすめる。
 屋敷のなかから、次々と、人が転がり出てくるのが見える。炎に背を照らされ、黒い影になり、それがいくつも、ちりぢりに、もつれ合いながら。給仕の少女らしき姿もあれば、着の身着のままか、半裸に近い男たちの姿もある。泣き声、叫び声、怒声、烈火の渦にそれらが飛び交い、眼鏡の少女はなぜこの状況で自分が彼らと同じように逃げ惑っていないのか、そうか、炎に向かうように、目の前に立つ、二つの影。銀髪と金髪を、白い肌をそれぞれ炎の色に染め、立つ、仲間たち。そっか、わたしが逃げてる場合じゃない。わたしは、白魔法士見習いだ。
「アリエ、君の力で、屋敷のまわりすべての木を薙ぎ払え。燃えうつればこの森すべて、火の海になりかねない」
「でも、きっとまだ屋敷にはたくさん人がいます。助けなきゃ」
 少女に目に困惑の色が浮かんだ。
「気持ちは分かる。だがもし、この森に集落でもあればどうする。炎に囲まれて、まるごと焼けても、おかしくはないぞ」
「でも、目の前で苦しんでいる人を放っておくなんてできません!」
 なお続くごうごうと炎の上がる音、少女の精いっぱいの声が響く。
「アリエ! 森を炎から守ることができるのは、君だけだ。屋敷のひとを助けるのは、わたしたちに任せてくれ。そうだろう? ザーレ君?」
「はい!」
 炎が、ひりひりと頬に熱い。けれど眼鏡の少女は、きっ、顔を上げた。
「あっ! あそこ!」
 アリエが驚愕の表情を浮かべ指さした先、黒煙と炎の渦まくその先、四階か、五階か、屋敷の一番上の階の窓に、白い、人形の如き、恐怖ですっかり血の気の引いた顔。けれど、間違いない。彼女、さっき、廊下で、自分の粗相の後始末をしてくれた、彼女だ。
「行かなきゃ!」
 アリエが駆け出す。
「待て!」
 しかしその体を、ルネの腕がつかんだ。
「猶予はない、君は、君のやるべきことをするんだ」
 低く、静かで、厳しい声。
「でも!」
 アリエはもう泣きそうな顔で、もどかしげに拳を握った。
「ありぃ、わたしが行く」
「え?」
 眼鏡の奥でまなざしを据え、親友は言った。
「わたしが、あの子を助ける」
「どうやって!? 今から屋敷の中に入ったら、ちぃまで死に行くようなものですぅ!」
 もはや、嗚咽。しかし、眼鏡の少女は、声色を変えず、続けた。
「ありぃのちからは、もしかしたらありぃ以外の人間にも、作用するかもしれない」
 ルねぇさんが、言ってた。
「だから、わたしがありぃのちからを使って、あの子を助ける」
「そんなことっ」
 まだ、泣き声のまま。親友の声はしかし、強く、優しく。
「ありぃ、いままで一番、ありぃのそばにいたのは誰?」
「え?」
「ありぃのそばで、一番いっぱいおもらししたのは誰?」
 ふたりの視線が、交わる。
「わたしだよ」
 少女の腕が、親友の頭を包んだ。
「だから、大丈夫」
 それから、その白い額に、乾いた、熱い感触が触れた。
「ちぃ」
 その一瞬の感触を確かめながら、
「わかりました。やってみます」
「うん。任せて」
 眼鏡の奥、瞳が笑う。アリエは目を閉じる。そして、願う。

ちぃに、ちからを! みんなをまもるちからを!

 しゅいいいん!
 アリエの額に赤い文様が輝き、そこから放たれた一条の閃光が、親友の身に注いだ。親友の身体が、赤い光を帯びる。
「すごい! 力があふれてくる! いけるよ、ありぃ!」
「ちぃ、ぜったい、生きて帰ってくださいね」
「ありぃも、ね」
 二つの赤い閃光が跳んだ。一つは森へ、一つは屋敷へ。
「さぁ、見せてもらおうか。君の、本当のちからを」
 金髪の少女は一人、炎を背に、微笑んだ。

 なんて尿意! 出ちゃいそうとか、そんな程度じゃない。まるで、体を突き破って破裂しそうなほど。レツィタティファは、恐ろしい尿意に身をよじった。少しでも気を抜いたら、溢れてしまいそう。ありぃはいつも、こんな尿意に耐えながら、戦ってたんだ。
 見上げる屋敷。まだいくつもの窓から、ごうごうと炎が噴き出し、それをしかし、真っ黒な煙の塊が覆う。熱い。少し近づいただけなのに、皮膚が灼け、裂けそうな熱。
 だけど。
「ありぃと約束した。ぜったい助けるって!」
 炎と黒煙のあわい、わずかに見え隠れする、助けを求める苦痛の顔。
 どうする、あそこまで跳べるか? でも、届かなかったら?
 一瞬の躊躇の間にも、破裂しそうなほどの尿意が、灼熱にすら劣らぬ痛みとなって、体内で叫ぶ。
 やるしかない。そうだ、あのときの、ありぃみたいに!
「とおおりやぁぁぁ!」
 少女は、咆哮とともに、燃え盛る屋敷の壁を駆け上った。垂直の壁を、黒煙を裂き、炎をかいくぐり、文字通り、駆け、上った。
 がしゃああん! 窓ガラスを砕き、室内へ転がり込む。もはや一面の、灼熱の煙。目も開けられない。
「つかまって!」
 けれど確かに、その腕は、恐怖に震えるあの少女の身体を掴んだ。
「跳ぶよ! しっかりつかまってて!」
「は、はい!」
 きっと目の前で何が起こっているのか、煙に巻かれた彼女には分かっていなかっただろう。けれど、自分を掴む腕は、大丈夫、信じられる。だって、あんなにすごい魔法を使った人だから!
「おおおおりやぁぁぁ!」
 再びの咆哮とともに、ふたりの少女の身体が、宙を舞った。
ずざ、ずざざざざぁっ!
 その赤い流星は、炎に沈む黒い森の影を裂き、落下した。勢いあまり、二回、三回、地を転げ、それでもまだ止まらず、ばきばきばきぃ、いくつかの低い枝葉をへし折り、ようやく動きを止める。



←前 次→