月のはなし。
 目に見える姿が真実だとは限らないし、では嘘か? と言えば、必ずしもそうではないだろう。片方から見れば本当、片方から見れば虚構、全く正反対なのに、けれどそれはひとつ、まるで、満ちては欠け、光と闇が同居する、月のような。わたしが彼女に抱く印象をひと言で言えば、そんなところか。
 彼女が自身の体の異変について感じたのは、中学生の頃。慣れない徹夜を幾日か続けたある夜、時間にすれば決して長くはなかっただろう仮眠を途切れさせたのは、不可解な液体にまみれた下半身。それが自分の小水であると気づいたときの彼女の胸の内は。
 それから、とても疲れた日、体調のバランスの崩れる日、回数にすれば月に一、二度だろうか、就寝中にパジャマを濡らすようになった。はじめは、気づいたときにこっそり洗濯をすればよい、というほどだったし、なるべく疲れを溜めないように、体調に気を配って、それで大丈夫だろう、そんなふうに思っていたそうだ。だが、年齢を重ねていくうち、むしろ状態は、思わぬ方へと進む。
 頻度も量も、次第に増えていったのだ。中学、高校の修学旅行は、用心のために夜用、多い日用の生理用品を使用して備えたし、それで対応ができた。しかし、二十歳を過ぎる頃になると、シーツまで濡らすこともしばしば見られるようになり、やがて大学を出る頃には、ほとんど毎晩のように、大きな世界地図を描いてしまった。どれほど、自分の体の変化に戸惑い、悩み、苦しんだだろう。
 わたしの目から見える彼女は、とても皮肉屋で、皮肉が言えるほどじゅうぶんに賢い。人づきあいなんておっくう、言葉の端々にそれが滲んでいて、孤高の天才、なんて二つ名が似合いそうな人物だ。だけれど、実はとてもさみしがり屋で、クールに見えて内心はとても心配性だったりして、もっと言えば、甘えんぼさんでさえある(と、わたしは思っている)。一見相反する二つの性格、だけどそれは、どちらかがどちらかを隠すためだとか、どちらかはどちらかの反動だとか、きっとそんな単純ではなくて、もうそれらすべてをひっくるめて「彼女」なのだと思わずにはいられないほど、不思議で、魅力に溢れている。
 彼女は、自身のおねしょを、大変気にしている。悩んでいるし、できれば治したい、と強く思っていて、そのための努力を惜しんではいない。だが片や、彼女は他人のおもらしやおねしょに、強い興味を抱いている。他人のおもらしやおねしょについて見たい、知りたい、ことによると、自分自身のおもらしを見せたい、そんな欲求を抱いている。毎晩のおねしょは、決して知られたくない。だが、故意に行うおもらしは見せたい。どこまでもアンビヴァレント、それが、わたしが魅力を感じて止まない、彼女だ。
 彼女だ、と断言したが、もしかしたらそれも「わたしから見た彼女」に、彼女のある一面に過ぎないかもしれない。彼女とはときどき会って、他愛ないおしゃべりをすることがあった。そして、「大人の会話」として、お互いの秘めた趣味について、ほんの少しだけ話したりする。わたしにとって、それは少なからずこころときめく瞬間である。彼女がどう思っているかは分からないけれど。
 彼女には素敵なパートナーがいて、もうお付き合いも長い。二人がどのような毎日を過ごしているのか、気にならないと言えば嘘である。しかし彼女は自分から、彼のことを話そうとはしないから、わたしも聞きはしない。ただ時おり、どきっとするような言葉がこぼれることがある。わたしは彼におもらしさせるから、などと。大変気になるところだが、いたずらっぽく微笑みながらそうつぶやく彼女は、たぶんわたしが知らない彼女であり、だからこそ、どこまでも計り知れない彼女の魅力を感じさせるのだ。



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