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我が家の朝は慌ただしい。息子二人を起こし、朝食を食べさせ、着替えさせ。妻はその間にわたしの弁当をつくる。きっとありふれた、幸福な繰り返し。わたしにとっては少し残念であったのだが、長男も次男も、幼稚園に上がる頃には夜尿もなくなり、おむつ外れは非常に容易だった。わたしもそうだったらしいし、妻もそうらしい。学生の頃は、恋人が、妻が夜尿症であったら、失禁癖があったら、どんなに満たされるだろう、そんな想像もしたものだが、実際は妻との結婚を決めた理由に「夜尿症」も「失禁癖」も入ってはいなかった。ただ「一緒にいたかった」、それだけだ。
あちこちと気を散らせながらも着替える次男が、ズボンを穿きながら
「ねぇ、すずせんせいって、おむつなんだよ」
、何を思ったのか、もぞもぞ言った。
わたしは平静を装いながら、叫び出しそうになるのを必死でこらえた。
「すずせんせい、って幼稚園の先生かい?」
つとめて声をしずめ、聞く。
「うん。おむつはいてるっていってた」
「すずせんせいって、男の先生かい、女の先生かい」
「おんなのせんせいだよ」
「若い先生かい」
「タク、はやくしないとカイがみんな食べちゃうよ!」
長男のかいと、愛称カイが食卓で、パンをほおばりながら叫んだ。タクは次男、たくとの愛称だ。
「待ってぇ、食べないでぇ」
次男はちょっとヒステリックな声になって、じたばた靴下をはくと、食卓へ駆け込んだ。
もう少し、話を聞きたかった。だがこれで怒るようではさすがに大人げない。またいつか機を見て話を聞けばいい。わたしもいそいそ、洗面台へと向かった。
だが、通勤の間も仕事中も、わたしの胸の中には昨夜にもまして、感情が渦を巻き続けていた。
次男の幼稚園にいる「すず」という女性の保育士はおむつを着用しており、それを園児に話している。そんなことがあるか? おむつの女性保育士? 身体的な理由があるのか? それとも実習かなにかの一環か? その女性は若いのか? 年配か? 可能性、ナプキンのことをおむつと呼んだとは考えられないか? ぐうぜん園児に見られ、とっさにおむつと答えたとか?
待てよ、あのイラストの「S」がサインだとしたら、「S」はすずのSか? ならば、あのイラストを描いた人物と、おむつの保育士とは同一? だとしたら、おもらしに対して強い関心を寄せていても不思議ではない。まさか、あのイラストの女性は、「すず先生」本人だったのではないか? おもらしをしてしまった園児に「大丈夫、わたしもおむつしてるから」と、優しく笑いかけている、そんな場面だったのではないか? そしてあのイラストには「おむつの自分に気がついて欲しい」、そんな願いが込められていたのではないか?
胸が苦しい、呼吸が速くなる。叫びだしそうになる。「すず」のことを考えると、いや、考えなくても、こころを「すず」が締めつけ続けている。この気持ち、知っている。この気持ちの名を呼んでも良いか。呼んだら認めざるをえないぞ。いいのか。
苦しくて、切なくて、その人のことばかり考えて。
この気持ちは。恋だ。
わたしは仕事中にもかかわらず、大きなため息とともにその気持ちを吐き出した。
なんてばからしい恋をしたんだ。おもらしイラストが上手で、おむつを穿いた女性保育士「すず」。それはわたしの空想、いや妄想じゃないか。そんな人物は実在しないんだぞ。じゃあどうして、こんなにも苦しい? 切ない? いったいわたしは何に恋をしているんだ? なぜこれほどまでときめいている?
次の日も、その次の日も、わたしの胸は「すず」の妄想に支配され続けた。
時間さえあればスマートフォンでおもらしイラストを探し続け、似たイラストを、「S」の手がかりを求めた。その間にもわたしのなかで「すず」は膨らみ続け、年齢は、性格は、暮らしぶりは、おむつを使う理由は、もうそのすべてが知りたくて、やがて、恋人はいるのか、彼氏はどんなやつだ、どんなお付き合いをしているんだ。空想の人物の空想の恋人に、心の底から嫉妬する始末。
正直、結婚してから妻以外の誰かをこんなに好きになるなんて、思いもしなかった。入社したての頃、社内不倫を繰り返していると噂の上司がいて、内心、よくまぁそんな元気があるものだ、と呆れたものだが、いま、わたしの胸に渦巻く感情を思えば、いやもしかしたら、わたしも同じ道をたどっていたのかもしれない。
そんな風に考えると、むしろ、「存在するかどうかすら分からない相手」に焦がれたからこそ、わたしは、道を踏み外さずにすんだ、と言えるかもしれない。いや、とうのむかしに道は踏み外していたのかもしれないが。
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